桜田門【江戸時代にタイムトリップ】江戸城門探訪その1 

始めに

江戸城の名残を最も残しているのは、お堀と門です。
そこで、江戸城の天然記念物?の門を訪ねてみました。

今日は、おそらく、江戸城の門の中で、最も有名だと思われる、桜田門についての記事です。

江戸城の桜田門に行くには、地下鉄の有楽町線の桜田門駅で下車します。
もう、江戸城の堀が見えており、行きつくことができます。

↓桜田門に着いたら、そこは、実は「外桜田門」で、

この門をくぐると、もう一つ門があります。
↓これは「内桜田門」と言われ、「桔梗門」と呼ばれます。

ややこしいですね^^;

一般に「桜田門」といえば、外桜田門のことです。

 

桜田門外の変

画像はウィキペディア「桜田門外の変」より

1860年(安政7年)に起きた、言わずと知れた、幕末の江戸幕府を揺るがした暗殺事件です。
14代将軍徳川家茂の時代、時の大老井伊直弼(いいなおすけ)が自宅から江戸城に登城する際に、水戸藩の浪士に襲われたところがここの桜田門の外。

大老という役職は普段は置かれない幕府の臨時職で、老中の上に置かれていたのですが、
それだけ、幕府内で意見を通すことができる権力を持っていました。

井伊直弼は幕府のなかでは保守派で、旧来の幕府の権威や立場を重視した立場でした。
そのため、一橋派の革新派とはそりが合わず、一橋派の中心的存在の水戸藩・薩摩藩・土佐藩らの反感を買いました。

保守と革命のぶつかり合いの末に、幕政の最高権力者ともいえる大老の暗殺事件が起こったのです。
この事件は時代の不穏な空気を象徴しており、明治維新への序章ともいうべき出来事でした。

時代がますます混迷していく空気が広がっていったのもちょうどこの時期。
暗い世相を反映したような出来事でした。
この事件があって、幕府の権威は下り坂になり、外様大名の雄藩(薩摩・土佐・長州など)が台頭していくことになりました。

そんな歴史的背景をふまえて、外桜田門を訪れてみると、面白いですね。

この時代のテーマはやはり、開国か攘夷(外国を打ち払う)か。
それぞれの論で意見を戦わせた武士たちの息遣いが聞こえてくるようです。


今は平和な姿を見せている桜田門ですが、幕末は混乱の中心になった場所なのです。

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