天下人家康、最大の敗戦 三方ヶ原の戦い
Hello, this is Tomo.
Do you know the one of most famous Japan ruler ‘Tokugawa Ieyasu’ ?
こんにちは!tomoです。日本で天下統一を行った有名人の1人「徳川家康」ご存知ですか?
Today, I want to tell you about his fatal setback called ‘Mikatagahara no tatakai’.
今日は三方ヶ原の戦いと呼ばれる、彼の最も致命的な敗北についてご紹介します。
元亀3年(1573年)織田・徳川連合軍と対する武田信玄との「三方ヶ原の戦い」が起こりました。(浜松市北区根洗町にある古戦場の跡地)
徳川家康が浜松城の城主であった31歳のときです。(数え年)
この戦で徳川家康は大敗北を喫します。
画像:Wikipedia「三方ヶ原の戦い」より
命からがらわずかな供回りの家臣を連れて南の方角にある浜松城に逃げ帰った、とされます。
その時の切迫した状況を物語る逸話をちょっとご紹介。
・「小豆餅」という地名の由来
敗走の際、お腹がすいた家康は途中の店で売られていた小豆餅を食べた。
そして、そのまま逃げた。
・「銭取」(遠鉄バスのバス停の名前になっている。)
小豆餅を売っていたお店の番をしていたお婆さんが、無銭飲食をした家康のあとを走って追いかけて代金を取ったから。
☆小豆餅で家康は小腹を満たしたとすると、銭取まで約6キロメートルの距離があります。
健脚とは言え、実際のお婆さんが馬に乗った家康を追いかけるのは無理なお話ですね!
だからこれは後世の作り話です”(-“”-)”
・自らの居城浜松城に入城する際、武田軍より身を守るため家臣に身を扮した家康。
城についた時、家康と分かってもらえず、城門の警備に当たっていた家臣に不審がられた。
・恐怖のあまり馬上で脱糞してしまった家康は、城の中にいた家臣に「これは味噌じゃ」と言い訳をした。
☆事実かどうかは、今となってはわかりませんが、それだけ切羽詰まった状況に置かれていた、という状況が伝わってきますね!
さて、最後に今も名古屋にある徳川美術館にある家康自身の「しかみ像」をご紹介します。
この生涯最大の負け戦とされる「三方ヶ原の戦い」に敗れた自分の姿を絵師に書かせたものです。
浜松城の天守閣にそのレプリカが展示されています。
そこで、写真に撮ってきました!
眉根が下がって、やつれた感じの家康公ですね・・・・。天下人のイメージはどこへやら・・・・。
家康は、この敗戦を生涯の教訓とするためにこの絵を側に置いた、とされます。
この絵の家康は、日本の覇者としてのイメージとは随分ちがいますね!
〈 tomoのひとこと〉
Every person has a failure.
どんな人にも失敗はあります。
The great people can learn from thier failure.
偉大な人ほど失敗を生かすものです。
現在は浜松市の公認ゆるキャラとして、いろいろなところで活躍する「家康くん」です(^^♪
浜松駅構内の売店にて。
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